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生きがいについて

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先日、100分で名著で神谷美恵子の生きがいについて (神谷美恵子コレクション)という書籍について解説していました。

 

みなさん、「生きがい」ってわかりますか?

 

神谷美恵子の生きがいは「この子は私の生きがいです」といった生きがいの源泉、または対象になるものをさすときと、生きがいを感じている精神状態を意味するときの二つで、後記はフランクルの言う「意味感」に近く、”生きがい”と”生きがい感”を区別して生きがいについて書いている。

 

生きがい感、というのを肌で感じるのは、子供たちがのべつ幕なしに遊び、笑い、はしゃぎ、目に見えるものすべてに興味を示し、見ているこちらまで楽しくなるような様子みたときである。

こっちからするとどうでもいい、つまらない遊びでも、彼らにとっては重要で、それをしている間、意識しているしていないに関わらず、生きがい感を感じている。

 

その本人のなかの、心の底から湧き上がるような感情が、そういう行動を起こしている。

稀代の数学者、岡潔を例にとって書かれている。

わたしが数学へ入るようになった要素は、幼いころから私の中に作られていたと言える。わたしは幼いころ、和歌山県の紀見峠で育ったが、そこは水の少ないところで、山の中から竹の管で水取りをしていた。わたしも、近所の鼻ったれ小僧と一緒に、竹の管から漏れる水で箱庭を作って遊んだが、あの苔をどこに置き、この小松をどこへ植えようかと構想を立てるのが、とても楽しみだった

思えば、この時にイメージを豊かにする楽しさを覚えたわけで、数学を研究するようになってからも、構想を立てて文献をあたっていく楽しみをずいぶん味わった

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)より

 

心の中に、すべてを圧倒するような、強い、いきいきとしたよろこびが「腹の底」から、すなわち存在の根底からわきあがったとしたら、これこそ生きがい感の最もそぼくな形のこのと考えていいという。

 

わたし自身、正直なところ大人になるまでこのよろこびというものを感じたことはなかった。

子供の頃から人間観察はずっと行っていたけれど、よろこびとは違ったもので当たり前の作業だった。人が起こす行動を分析してどうしてそういう行動をしたのか、どうしてそういうことを言ったのか、どうしたら気持ちが近づくのかなど、日常生活から恋愛において身近な人とうまく付き合う術を考えていたのは、ある意味で夢中だったからかもしれない。

 

しかし、大人になり仕事でくたくたになって、いやな仕事をしていた中で、泣きながら毎日作業する中、原因を突き止めて解決しなければいけないという単純な作業の中でつらさと過酷さから夢中になって考えてたはずなのに、自分がわからない疑問や謎が、調べることにより解決できる喜びがたくさんあったことに気がついた時、こういうことをわたしも勉強すればたくさん知ることができる、わたしはたくさんのことを知ることができる、という喜びと、わたしはこういうことが理解できる人間なんだ、という、ある意味で自分を否定的にとらえていたわたし自身が唯一誇れる何かを少しだけ見つけられた気がしたのでした。

 

わたしは大人になってからしか、この言い知れない胸の中で、腹の中でいっぱいに広がる喜びを感じることができなかった。子供の頃ですら夢中で遊んだ記憶もなければ、なにかに夢中になることがほとんどなかった。

 

だから、この本を読んで、生きがいを感じていなかったと思っていたのは自分の勘違いで、この生きがい感というこの種子を、水をあげ、栄養を与え、時間をかけて少しずつ大きくしていくと、わたしにも次のステージの使命感にも似た真の生きがい感を感じることができる何かがあるのです。

 

昨今、色々なニュースや問題で子供のことを自分の問題のように心配し、あれはだめ、これはだめと親が子供の意志関係なしに縛り付けている例が散見されます。

 

わたしは子供がいないからこそ、子供目線でしゃべれるのですが、わたしが子供の時、仮にもし本当に何かどうでもいい、くだらないと親が思うことであっても、その沸き上がるような心の底から楽しいと思える何かを、親に理解されず奪われているとしたら、大人になったとき果たしてわたしは生きていて楽しいのか、と思うのです。

 

わたしのことを生きがいだと思ってくれる親に、自分の生きがいを奪われたとき、その抵抗できない悲しみは、どうしたら解消されるのでしょうか。

 

そういう子供たちがたくさんいるからこそ、この世界は鬱やストレスや精神疾患を抱える人間が多くなったのではないかと思うのです。

 

 

それが必ずしも親子関係だけにとどまらず、自分のことでもそうです。

自分の環境や体裁を優先し、やれなかったことをいつまでも引きづって生きていたら、わたしたちの中にある、その育とうとしている種を、芽を、目の前で枯らして、徐々に衰弱させていく様子を自分で見続けて、その知らぬ間に培われた罪悪感を、いつぬぐえるのでしょうか。

 

今の世の中は、もしかしたら生きがい感を子供の頃に無くした子供たちが大きくなり、または自分の中にある生きがい感すら知らずに育っている人が多いのかもしれません。

 

だから、みんな窮屈で、自分自身が本当にやりたいこと、楽しいこと、腹の底からこうしたいと思う気持ち、そういったものを感じるだけの心の余裕、環境の余裕がなくなってしまったのかもしれません。

 

 

わたしたち大人が、いちばん生きがい感を忘れてしまい、もしくはその生きがい感を知らない大人たちの手によって、柔軟性がなく、窮屈で、がんじがらめの世界を作り出して、それぞれの首を絞め合ってるのだとしたら、とても不幸な状況ですね。

 

ひとりひとり、それぞれの中にある腹の底から楽しいこと、よろこびであふれることは違います。だから、はたから見てくだらないと思えることも、その人にとってそれが【生きがい感】であり、それを周囲が認めてあげられるだけの余裕のある社会にするにはどうしたらいいでしょうか。

 

それぞれが、それぞれの生きがい感を感じられたりしたら、他人のことなどどうでもよくなるはずなのです。

 

そして、仮にお金にもならないようなくだらないような自分自身の些細な、でも自分にとって最大の腹の底からの喜びを、大事に、そしてそれを続けていけることができたとき、本当にこの世界は変わっていく、そう思います。

 

みんなで、生きがい感思い出してみませんか

 

本当にやりたかったこと、胸がワクワクしてバカみたいだけど、わたしはこれが好き!というものを思い出してみませんか?それを思い出せただけで、きっと前に進めると思います。

 

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