霊的目覚めへの体の改革が早急に問われている

統一教会の問題など、宗教との関りで問題がある人が宗教の概念そのものを毛嫌いし、嫌悪し、恐怖におびえているのを見ると、現代の宗教家の罪深さをより一層感じる。

正直、信仰と宗教は全く別物だから信念を持つためには信仰は必要で、信仰を持たないものはこの先のいろいろなことに耐えられなくなってくる。


テレビに出て二世として恨みつらみを語る方々に、二世になりかけて二つの宗教に板挟みにされて人間同士の地獄を見た先輩であるわたしから一言言えるのは、自分の学んだことをどこが正しく、どこが間違っているのかを改めて問い直して宗教問題から決別し、自分の信仰を持ってほしいということです。



そういうことで、宗教を毛嫌いし、信仰と宗教を一緒くたにする人たちは無視していきます

 

霊的目覚めと書きましたが、超能力を持て、という話ではなくて人間性を高めましょう。という話です。

 

特に日本人は下半身の力が弱いので下半身を司る【自我】に負けて欲望がコントロールできない状態になりやすく、そのため古来日本人は胃の働きが弱く、自尊心が低く流されやすい、人に影響されやすくエネルギーに敏感性質を持っていたことから武士道が発達し、丹田を鍛える修業の入り混じった《道(どう)》が発達しました。

 

霊的目覚めとは、真の自分に目覚めるということです。

一体、なぜ道の話を出したかと言うと、自我のコントロールをする上で必要だからです。

下半身つまり丹田が弱まると自我が暴走し、正しいことも欲望に支配されて流されてしまい、卑怯になる。自分に自信がないから人に悪口を言って陥れたり、裏でこそこそやっては人の成功の足を引っ張ったりする。

 

そういう人間にならないために、わたしたちは丹田を鍛える服装である着物を選択したり、草履を履いたりしていたわけです。

しかし、西洋化してきた日本人は肚が緩み始めて悪い部分が明らかになってきました。

つまりそれは、わたしたち日本人は肚の力が弱って卑怯になってきているということです。自分の利益しか考えず、自分以外の人のことを考えないで自分だけ得をすればいい、という態度です。

 

自分だけ得をするために、人を犠牲にしてもいい、というそこはかとない空気が蔓延し、自分の行動が他人にどのように影響を与えているかをすっかり忘れてしまっています。

 

 

そのために、自分がいかに得をしていかに損をしないかばかりを競うように自慢するような世の中になっています

 

その卑怯さと卑屈さがこの日本をだめにして、そしてその自己中心的な態度が自分をだめにして言っているということです。

 

その根本的な問題は、自分のことをあまりにも認めていないことと、人と自分を比べてどうにか人生を送ろうとしているからです。

 

わたしは、この数か月で絶望を経験しすべてのことに対して卑屈に生きてしまっていたところ、啓示のように今は別の仕事を傍らにして生きています。

 

 

 

しかし、この仕事ではわたしの最も苦手な事柄を作業としており自分の不出来さに絶望の上塗りをして死にたい気持ちに久しぶりに陥ったときに5年前に買ってあった本がたまたまインターネットで目に入り、食い入るように読み漁ったときに大変救われたのでした。

 

 

それは、自分自身の能力を過信することと自分自身の能力を過小評価することへの戒めのようにわたしに響いたのです。

 

 

わたしは、自分の卑屈さを見て見ぬふりをして他人が日々努力する行為をどこかでうらやましく感じているのと同時に、自分は何もしていなかったのに自分自身ができているというおごりで生きてきました。

 

結局のところ、わたしは知識はあるが行動を一ミリも起こさずして人をああだこうだと言っていただけで、鼻っ柱を折られるための今が存在したことを改めて思い知ったのです。

 

 

それから、わたしはここ数日朝三時ごろからヨガ、プラナヤマ、瞑想をぶっ続けで3日ほど続けておりますが、その効果たるや絶大で、わたしが一番苦手で避けてきたことがつらくて仕方がなくても、体の鍛錬は怠けていた間も哲学を続けていたことによって、自分の体に起こる様々なエネルギーの働きや様々な食事の問題を自分自身で発見することができ、あらためて現代の人間の生活は誤りが多いか、自分自身をいかに傷つけて生きているのかを知り、この世界がやさしさで満ちていることを実感しているのです。

 

 

 

この世界は、愛で溢れている。

だからこそ、それを知るためにわたしたちは自分自身を許し、自分自身を認め、自分自身を奮い立たせるために立ち上がる必要があります。

そして

自分のいいところ悪いところをすべて受け入れ、そしてそれを愛によって昇華し、この世界に広げる必要があると感じています。

 

 

そのためには、物理的な体は必要で体はとてもさびやすく、外界の影響をもろに受けやすいので、そこからのケアが必要なのです。

 

 

その体をメンテナンスし、正しい位置に近づけることによってこの腐った世界の見方を変え、自分の今生きている世界がどれほどまでに素晴らしい世界かを自らの目で知る必要があります。

 

 

 

体をケアし、呼吸を整えていく先にある、自分と言う人間がどれほどまでに素晴らしい人間になるか、自分で自分を見て見ませんか?

 

自分が自分のために何かをすることで、自分の知らなかった自分が必ず見えてきます。

 

 

自分から逃げないで、自分と向き合うことで見えてくるものは素晴らしいギフトを与えます。

 

ぜひ、自分を見つめなおし自分と言う存在のすばらしさに目覚める人が増えますように、期待を込めて新たなリリバリボーテとしての活動を再開したいと思います。