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思ったようにうまくいかない人生、だからいい

藍染だったか、いい藍を作るためには大きい洪水が来て土を動かしてもらわないといけないといったような話を見聞きした。

 

 

動物は、寒さや殺されるかもしれない恐怖心や環境などの理不尽と真正面から向き合って過酷な状況をありのままに受け止めて、それでも生きるために必要なことをする。

 

 

生きていくということは、本当は動物と同じように理不尽な状況であっても、ありのまま受け止めて生きるための必要な選択をし続けることであると思うが、人間が動物と違うのは「感情」があることである。

 

 

人間はそういった理不尽とは向き合わず、自分の感情に流されながら、なんとか現実を見て見ぬふりをして生きていこうとする。

 

 

私が思う一番の苦しみは「不安の原因がわからないという不安」をずっと抱えることだと思っている。

 

そうなるかわからないことで怖くて仕方がないものがわたしたちの心の中にはある。

例えば、

 

物を捨てると無くなったときにどうしたらいいかわからなくなりそうで不安

お金を使ったら、使ったお金が無くなった場合にそれ以上の何かあったら不安

誰かと離れたら、自分以外の人のところに行きそうで不安

自分の所有物を誰かに預けて傷つけられるんじゃないかと不安

などなど。。。

 

 

書いたらものすごい些細なことが、大きなことに思えて人はとてつもない不安に感じやすい。

 

捨てることはエネルギーがいる。
お金を使うのはエネルギーがいる。
誰かを信じることは、エネルギーがいる。
自分の所有物を他人に委ねるのは、エネルギーがいる。

 

なにかを動かしたり、何かをしたりすることは非常にエネルギーがいることだ。

 

 

自分のそういったエネルギーをきちんと使えるようになるためには、まさに「自分を信じる」ということ以外発動させることはできないわけである。

 

 

40過ぎていろいろな人と触れ合って、この歳になって思うことは、どんな家族にもトラブルがあり、どんな人にもトラブルが起こる、ということである。

 

 

自分の身内に、恨みを持つ人がいる。

例えば、自分の父親が嫌いだったり母親が嫌いだったりする。

しかし、自分の親に従わないといけないような気がして、その恨みつらみを抱えながらお互いが苦しみあいながら生きていかなければいけない。

 

 

こういう状況は苦しいものであります。

人の家、人の環境は自分と比べたらずいぶんまともに見えるが、内実は自分のことしか考えない家族、所有欲を抱えて苦しみごみ屋敷にする身内、お金でもめる家族、家族と一切コミュニケーションを取らない身内、自分がなぜ恨まれているかわからない本人、、、など、それぞれが理不尽で破綻したような家族構成がどの家にも多少なりともあり、表面上うまくいっている家族ですらまれで、多くの家族は誰かに苦しめられたり、一方的に恨んだり、一方的に恨まれたりしながらいびつな家庭を築いていたりするのである。

 

 

わたしは、幼少期のいびつな家庭構造で人間の心の機微を少しずつ観察する癖がついていて、とはいえ、それがわかったところで自分の人格形成にはつながらなかったわけであるが、

 

人生は
自分の思い通り、期待通りにならない。

ということを知らずに生きてきたのであります。

 

だから、いろんなことに期待しそのたびに裏切られ、絶望し、そして人を恨んだり憎んだりして生きてきて、人を恨んだところで自分の人生が大きく変わることがないということを知らなかったのであります。

 

 

しかし、自分が心を病み苦しんで改めて自分のことを見れるようになった時に、

 

 

「私と同じように苦しんでいる人はたくさんいるのだなあ」

 

と思ったときに、少しずつ変わっていった。

 

あるとき、わたしは夢を見た。

 

わたしは昔、夢で見た仏さまと一緒に上空に漂い、人々の💭の中に「殺す」「ぶっ殺す」「死ね」「ふざけんな」という馬事雑言を見て、人は怖いと仏さまに言った。すると、仏さまはもっとわたしを上まで連れていき、また同じ状況を見せた。

すると、その💭の言葉が変わった。

「苦しい」「助けて」

と。

誰しもが、苦しんで

誰しもが、悲しみを抱え

 

それでも一生懸命自分の人生を生きようとしているのだ

 

 

 

それから人を恨んだりすることをやめる努力をして、やっとつい最近それができるようになったような気がするのだ。

 

家族ですら恨んだり、憎んだりしていたわたしだが、

 

人生は自分の思い通り、期待通りにならない。

それが
人生の道理。

 

という道理を身をもって知り、諦めではない、人は自分の力では変えることができない、ということを心底思ったのだ。

 

ですから、わたしは恨んだり憎んだりした相手を信じることにした。

 

自分が自分の力で何かを変える、ということは到底できないことである。

 

しかし、わたしが唯一出来ることは

 

自分ができることを出来るだけ行い、あとは相手を信じ切ることである。

 

 

これは、最初に書いた自然の流れと一緒なのである。

いいものを作るためには、とてつもない苦しみを受け止めて、そしていいものを作る。

 

 

だから、人を思いっきり恨んで憎んで自分がとことん苦しんだりすることですら、必要なことだとわたしは思っている。

 

そういう自分に飽きたり、自分を変えたくなったら、動物と同じように自然に身を任せて自分の力を信じ切る。

 

自分を信じられるということは、他人を信じることができるということであり、そういう心が自分に影響を与えるということを徐々に知ることに意味がある。

 

 

 

人間は、不幸になるのは簡単である。

しかし、幸せになることはとても難しい・・・

 

だけど、不幸せにならない方法ならいくらでもある。

 

それが、現実と向き合って徹底的に自分を信じ切る、自分の力を出し切る、そうしたらあとはすべて相手を信じたり、神様を信じたりするだけで、絶対に不幸にはならない。

 

寄せる波に対抗するのではなく、ただ流れに身を任せて行きつく場所に行く。

 

 

ただそれだけで、きっと、苦しまずにわたしたちは生きていけるのである。

 

 

何かにとらわれず、何かに縛られず、ただシンプルに生きるだけで、人は不幸にはならない。

 

いろんな荒波があるから、わたしたちは自分を知り、わたしたちは自分の心を知る。

 

 

平坦な人生をよいと思えるのは、この荒波を乗り越えて自分を知った人だけで、

 

静かな海こそ、誰も不幸にならない世界だと、わたしは本当に思う。

 

 

しかし、どんな人の心の中にも荒波が立ってる。

そういう荒波が穏やかな海になるように、わたしは毎日願っている。

 

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