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絶対に可哀そうと思われる人間になるな

わたしは、

 

かわいそう

 

という言葉が嫌いで、言う人も言われることも最も忌みしている。

なぜなら、簡単に かわいそう と言うのは「その人が持っている可能性を信じない」人たちが簡単に同情と憐れみを込めた言葉を、相手に当てはめて《自分とその人は違う》という、非常に傲慢な言葉だと感じているからである。

 

だが、人間に当てはめて考えると

 

かわいそう

 

という言葉しか見つからないのである。

 

これは、わたしの中ではとても矛盾している言葉ではあるが、事実、最近いろいろとわたしと関わる人間のことや世間のニュースの登場人物を考えれば考えるほど、この世の中にはかわいそうな人しかいないのである。

 

どんなに人から嫌われるようなことをしている人も、原因を突き詰めれば必ず理由があってそうなっている。

 

どんなに自分から見て駄目に見える人も、原因を突き詰めれば必ず過去に憎しみや悲しみを引きずってそこから立ち直れずにそうなってしまっているのである。

 

それらが自分ではわからない、とてつもなく奥深くにある深層心理の世界に根本の原因である感情が眠っていて、それが当時の自分の不安や恐怖心を強く守って、結果的にそれが永遠と深い因果となってその人にまとわりつくのだ。

 

わたしたちは、自分の深層心理にある根本の原因の種を、自分の感情を苦しみながらでも観察し続けなければいけない。

 

そうしなければ、やがて自分のことだけしか考えることができなくなり、他人に怒鳴ったり、暴れたり、自分の思うとおりにならなかったら鬱になったりするのだから。

 

 

武士が、中村天風が、安岡正篤が、また様々な思想家が自分の人生を変えるために必要なことを残している。

 

それらは基本的には自分の人生をより良くするための手段とされているが、実のところ、「自分で自分のことをやる勇気」をどれだけ奮い立たせるか、ということを強く書いているのである。

 

 

自分を観察し続けることで、自分の感情を見つめることで、自分の強さや弱さと向き合うことで、はじめてやっと自分が見えてくるのである。

 

そのために、彼らは丹力を鍛えろと言い、そのやり方を残しているのである。

 

 

自分自身がしあわせになるためにこれらを見て思う。

 

 

絶対に他人にかわいそうと思われるような人間にはなってはいけない

 

と。

 

 

だからこそ、自分の強さや弱さと向き合って、捨てる物は捨て、無駄に抵抗せず、もめごとがあっても前世と思い受け流し、できるだけ対話でもってお互いが仲良く和解できる道を探せるように、自分が自分のためを思ってできることをする。

 

 

自分がかわいそうと思われるような人にならないように、かわいそうと思われる人をできるだけ減らすために私はできる限りのことをすると決意した。

 

 

ここまで来るのに、なんで私がそんなことをするべきなのか、なぜわたしが我慢しなければならないのか、様々な考えを巡らせて、自分にとって不都合なことをしてくる相手に対して罵声を浴びせ、傷つけてやりたいという気持ちばかりが大きくなって、次第には知らず知らずのうちに相手が死んでくれた方がいいと思ったりもしたものだが、、

 

結局、そのようなことをしたところで相手は傷つくばかりで余計問題を大きくし、さらには自分すら嫌な思いをするということに気が付いたのである。

 

 

思えば、自分が持っているものを与えればそれでいいのである。わたしの持っているものは、わたしだけのものじゃないからである。

 

 

自分が自分のものだと思っているから、この世界はたちが悪くなる。

 

 

自分の体も、物も、何もかも借りものなのである。

 

自分ひとりで生きているようで、人間が生きていくためにどれだけの人が自分のために何かを与えてくれていたかを想像したことがあるだろうか。

 

自分が得るために、増やしたもので心は満たされた経験はないが、与えられたもので心が満たされた経験は山ほどしているのである。

 

 

わたしは、それをなぜ人にしてあげなかったのか。

 

ただ、それだけを思い出した時、与えられていたものは与えなければならないのだと確信したのである。

 

 

与えることで、人を喜ばすことができるのである。

 

それが、物理的な、例えばお金やものではなくても、相手を慮る心があれば、それでいいのである。

 

それが持てるようになるためには、まず自分のことを知るために自分の感情を見つめ続け、この世界が本当に幸せになるために、自分が自分のために、いろいろなことを捨て与えていけば、エコやSDGsなんという偽善的な活動は必要なくなり、人間が必要なものを必要な分だけ分け与え、お互いがお互いのために幸せを願える世界になるのである。

 

 

人間が表面的な活動をすればするほど、本質からはどんどん離れ、今の日本人のように骨抜きにされて自分がなく、誰かの非難をして自分の行動を正当化し、自分は悪くないと思い、自分を顧みず、お金ばかりに執着し、自分の家族や大事な人をないがしろにするような人が増えれば増えるほど、苦しみは増し、はたから見たらかわいそうと思われるような人しかいなくなるのである。

 

人は、かわいそうじゃない。

だが、自分自身に対しての義務を放棄した人間はとことんかわいそうなのである。

 

 

なぜなら、自分の人生を苦しみながらでも勇気をもって生きている人からすれば、自分の人生を見て見ぬふりをして欲望や自分の感情に流されるまま生きて、自分を見失った人は、同情や哀れみでしかはかれないからである。

 

 

人が本当にしあわせになるためには、絶対に可哀そうだと他人から思われてはいけないのである。

 

 

可哀そうな人間だと思われたら、自分も、自分の人生もそこでおしまいなのである。

 

勇気をもって、自分を奮い立たせ、自分に無意識に浴びせられる同情や哀れみを吹き飛ばす人間にならなければ、後に残るのは悲しみと後悔だけなのである。

 

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