みなさんは、何かの行動を起こしたり、言ったり、思ったりしたことについて、自信を持って行ったことが間違っていないと、そして正しいことだと言い切れると思いますか?
自分達からみたら間違っていることも違う人からみたら正しいということがいくらでもあります。
戦争はある側面からみたら正しいという人もいますが、多くの人からみたら間違っていると思えるでしょう。
このように、全員にとっての正解はありません。その時々の立場によって正解にもなり、間違いでもあります。
つまり、正解も間違いもないと同じことです。
わたしが正しいと思ったことをしていても、どれだけの悲惨なことがあったか、間違ったことだとわかっていても、うまくいったことがあったか、世の中は矛盾したことでできています。
しかし、少なくてもこの約40年生きてきたなかで、正しいことをしてきて苦しんだお陰でわたしは自由になり、悪いことをして来たお陰でどれ程長い間苦しめられたかを、その時々で垣間見たのです。
いいことも悪いこともわたしたちが決めるものはありません。お天道様がいつもみて、その人がした行為にご褒美と罰を与えるだけなのです。
このわたしの施術を教えてくれた先生は、【この技術は神様から教えてもらった】と言いました。
神様から教えてもらった施術を、わたしもまた教えてもらっていたのです。
そんなときに、お客様のカウンセリング希望が入り、『自分を信頼することは、相手を信頼すること』をテーマに話をする機会がありました。
わたしもまた、なにかがあればすぐに諦めたり、何かのせいにして投げ出したくなることがありますが、この仕事をやって少なくともお客様の中には私ではないとダメだ、と来てくれる人の数の方が圧倒的に多いのに、自信がなくなることのほうが多いのです。
神様から教わったこの技術が、どれだけの人を癒し、またわたしも癒されているかと感謝しかないはずなのに、自分の力だと過信して余計な不安ばかり抱えます。木を見て森を見ず、とはまさにこの事です。
神様はと書くと宗教ぽくなりますが、わたしは宗教という概念はありません。
神様とは、わたしの心の中にあるもうひとつの自分です。
先生の神様も、お客様の中の神様も、すべてはその人自身の中にある素晴らしいちえを授けてくれる素晴らしい指導者です。
その指導者に身を任せることの大事さを、今回のカウンセリングを行うなかで改めて思うのです。
どんなに自分が正しいと思ったことをして、反対につらい目に遭っても、それでもいいことをし続けなさい。
これは、自分が正しいと思い込むとなかなかできません。
わたしは、いままで自分がやってきたことや言ったことはすべて間違っていないと信じていました。
しかしそれは、『わたしにとっては』であって、その正しさが他人に向けたものだとしても、結局、自分が自分の思いや感情を他人に押し付けて、無意識に他人の人生を操作することもあったのだと、様々な苦しみのなかで発見したのです。
それは違うよ。自分のエゴだよ、と指導者であるわたしの神様が教えてくれるのです。
わたしはやっと腑に落ちて、すべて神様に身を委ねる覚悟ができました。
わたしの人生も、皆さんの人生も、自分の意思で行動してきたことでガッカリしたことや、人に裏切られ、人を信じられなくなった人などたくさんいると思います。
わたしもその一人です。
でも、私たちの中にあるもう一人のわたしが必ずわたしの行動や思いを見て、目の前の人たちを通じてわたしたちに教えてくれます。
つらい目にあったときは、自分に悪いところはなかったかを反省し、いいことがあったときは、その分誰かも幸せにしてあげる気持ちを持てたら、この世界はどれだけ満たされて、どれだけの悲惨な事件が少なくなるでしょうか。
そのためには、わたしたち自身が自分を信頼するために、どんなにつらい目にあって、どんなに理不尽さを感じても、自分を信じるために、自分を愛するために、自分自身の神様を信頼し、何度でも反省し、そして自分を許して、自分にとっていいことを続けましょう。
そうすれば、神様はあなたを絶対に見放さない。
神様を見放しているのは、本当はわたしたち自身だったのです。
世界中の人たちが、今よりも幸せになれますように…。
わたしは世界中の人たちの中にある、大いなる指導者、神様の力を信じています。