先日、わたしのブログを読んでくれている奇特な方がご来店くださった。
アクセスの少ない私のブログを、隅から隅まで読んでくださっているようで、自分が変なことを書いていなかったか心配になった一方、何かしら役に立てていることがうれしいなと感じた一日だった。
さて、
そのお客様と色々話をさせていただいた。とても楽しい時間だった。
昨今のスピリチュアルな世界ではポジティブ信仰がとっても強くて、ポジティブであればいい、ネガティブは害悪だ!といった極論的な説が多い。
特に、引き寄せの法則という法則でいいことを手にしたいために、常にいいことを考えていなさい、と説いているらしい。
この間、この話になった。
いくら引き寄せたいものがあっても、自分の中にネガティブな感情(恨み、怒り、憤りなど)を押し殺して、『嘘、本当は大好き!』ってやっても、無駄だろ?無駄なことに時間をかけていたらあっという間におっ死んじまうよ。
よくよく考えてみたらわかることだけど、あいつ嫌い!とか、あいつむかつく!とか、そういう感情を持ったまま、『大好き!』って本人に言えるかというと、絶対に言えない(笑)
だから、嫌うなら徹底的に嫌いになればいいと思う。
泣くほどつらいのに、泣くことを我慢せず、徹底的に泣けばいい。
腹立つなら、徹底的に怒ればいい。
人間は、ずっと同じことを考えているとイヤになる生き物である。。
嫌っている自分が嫌いになってきて、泣いてばかりの自分がイヤになってきて、怒ってばかりの自分がイヤになる。そうなったとき、はじめて自分が見えてくる。
さまざまなものが嫌いになったり、怒ったりするのは大抵自分に問題がある場合が多い。
そこから自分を見つめていき、深層心理にある怒りに気が付くと、たちまち自分が変わるのである。
大体、日本人の悪いところは自分が理解していないのに、【これはいけないことだ】と思ったら、無理やり矯正させようとする。いけないことは、本人が理解して納得してからやらなくては意味がない。気づかないのに、あれはダメ、これはダメとすぐに口を出しすぎることはマイナスだ・・・。
無理やり自分の気持ちにフタをして、無理やりいいことを引き寄せようとしても、深層心理にあの人より幸せになりたい、とかあの人がうらやむような人間になりたいとか、自分が幸せになることでみんなに認められたいなどといった欲があると、いつまでもこじらせて自分が何で苦しんでいるのかがわからなくなってくるのである。
我慢してしまうから、わたしたちはその我慢で苦しくなる。
一旦全部吐き出せば、自分がなんでこんなに苦しんでるのかがわかってくる。
ポジティブな感情も、ネガティブな感情もこの世界では全く同じもの。
この世界の自然と同じように、嵐があり、噴火があり、地震があり、雨があり、雷が落ち、晴天があるように、人間の感情は怒りも悲しみも苦しみも怒りもすべて自然のものである。だから、晴天だけが素晴らしいのではなく、すべての自然の流れがこの地球を支えているわけで、どの現象にも優劣なんてない。
全ての物事は原因があって、結果がある。自然界のすべての目に見える現象は結果である。
それなのに、雨はダメ!嵐はダメ!噴火はダメ!地震はダメ!雷もダメ!晴天だけは許す!と言って、自然を支配できるかと言えば絶対にできるわけがないのである。それって、ものすごくエゴイスティック・・・(;´・ω・)
わたしたちの感情は、わたしたちの生きてきた中で起こした(起こった)原因が結果となって表れているのだから、ごく自然なことである。
自然を支配しようとするなんて、このばかちんがッ!(# ゚Д゚)(金八が言いそう)
知らぬ間に、植え付けられるエゴイスティック…。
わたしたちがつねにポジティブでいるということが必要ならば、雨や嵐や噴火や地震などの大きな出来事にも対応できる、柔軟な心をもつための教えでしょう?
なんだか人生がうまくいかないときほど、自分に都合がいいことや、苦しまないでいいこと、そういう自分にとって福が来て幸せになりたいという願望を持つのは悪いことではないけれど、その苦しみや悲しみがあって、わたしたちは研ぎ澄まされて洗練されていく。
点と点が線になり、わたしたちの人生を作っている。
だから、あるがまま、今、ここにある。
今、苦しくてもそれがあってよかった、と思えるまで自分が変わることでこの世界の見え方が180度変わる。
本当はとてもシンプルなのに、歳を取ると複雑に考えてしまうから質が悪い。
わたしもまだまだ、修行が足りんです。