いつ本気で生きるのですか?
わたしの夢に出てきたお話です。
親が小さいころから自分の進路や生き方を事細かく設定しています。
幼稚園に上がったらお受験の学校を決められ、小学生になったら中学を、高校生になっても進路に口を出され、好きな子ができても拒絶され、親の言う通りの就職をし、しばらくたてば結婚をとせがまれ、結婚するために連れていく彼女にはダメ出しをされ、結局お見合い結婚すると、「孫はまだか」と口を出され、わたしはいよいよ途方に暮れるのです。
わたしは自分の道を生きてない。
自分の道を生きようと思うと、親が口を出す。
このままこの親に、子が生まれてからも子供が自分と同じように決められてしまうのではないか。
色々考えると恐ろしいことばかりで、自分を生きているのが苦しくなる。
そうして、時間ばかりが立ってしまった。このままじゃいけないと思っているけど、自分で生きようと思ったとき自分で選択したことがないから失敗が怖い。
でも、わたしは変わりたい。
だけど、怖いから動けない。
失敗をしたら、また親のせいにすればいい、と、わたしの中の誰かがささやきます。
親がわたしを支配した、と責めればいいと、わたしの中の誰かがささやきます。
そうして、自分が選んで起こしたことがことごとく失敗して、わたしはいつの日か生きるのをあきらめてしまった。
そんな風になったわたしに、突然現れた謎の人が一言言ったのです。
「あなたはいつ本気で生きるのですか?」
わたしは、本気で生きている。でも親が支配する、と言います。
すると、
「怖いものから逃げているのに、本気で生きていると思いますか?」
と、淡々とわたしに言うのです。
わたしは変わるために色々なことをした、でもうまくいかなかった。だからこのままでいいんだ!と、私が言います。
「あなたは今まで失敗したことがない。失敗するのは当たり前です。あなたは体は大人だが、中身は赤ちゃんです。赤ちゃんは立ち上がるまで何度も失敗をして何度も転んで、そして自分が立ち上がる術を覚えるのです。あなたの周りにいる目に見える大人たちは、自分の足で立ち上がるために何度も繰り返し失敗して、繰り返し立ち上がろうと努力していました。
気の毒なことにあなたは、いつも親に抱きかかえられて生きて来たので自分の足で立つことをしてこなかった。それは親の責任です。でも、いつか人間は自分から立ち上がる勇気を持たなければいけないタイミングが来ます。
一人で歩く勇気を本気で持つことがどれほどつらいことかわかります。でも、あなたが立たないといけないと思ったとき、それが今なら勇気を出してください。
自分の力で立ち上がってください。
自分の人生を持つ勇気を持つために本気で生きてください。」
そうして夢の中で自分のための人生を踏み出そうと行動する先に必ずあった『親のせいにする』という責任の所在を『自分』に置き換え、誰のせいにもせず、行動をする決意をして夢は終わったのでした。
もう、夢を見ている間苦しくて苦しくてそれでうなされて目が覚めたのです。
親から縛られること、それがどれだけ苦しいことで、それが親も無意識で、そしてその子供が自分の人生を生きることがどれほど勇気のいることか、この夢で思い知らされたのです。
自分が生きたいように生きる権利がある。
他人に縛られる生き方はする必要がない。
親からの束縛を離れ、赤ちゃんになり何度も失敗してそして自分の足で立てるようになったとき、改めて親と向き合えばいいのだということ。
怖さを手放すことは、最初うまくいかない。
でも、どうしたらいいか模索し続けているといつか答えが見つかるときが来るのです。
一歩踏み出して前に進んだわたしたちは、誰よりも人の痛みを知り、人の痛みに寄り添える。
怖さを乗り越えた先にある、自分の本来の姿をたくさん見れる人が増えますように。