どんな人もどんな人間も生きていることに意味があります。
世の中に偉人と呼ばれる人や
人から尊敬されている人がいます。
そういう人と自分を比べるとガッカリしたり、憤りを感じるとき、羨ましさから怒ったり、反発したりする人がいます。
また、うちに引き込もって自分の人生に悲観しているうちに、とうとう家から出ることが怖くなり、そのまま心ごと引きこもる人もいます。
世間では、こういう人たちを少し特別な目で見ています。
そして、彼らもそれを知っています。
そういう目で見る人間が悪い、と彼らは思うでしょう。そして、彼らを見る人たちもそう見るのです。
どちらが変わらなくてはいけないかといえば、引きこもったり、自己憐憫(自分がかわいそうだと憐れんでいる)人たちであり、人と比べて憤りを抱えたり反発し怒る人たちです。
怒りや憤りや悲しみから1度自分から自分の心を手離したとき、そこから這い上がるのはとても難しいことです。
ダイエットが難しいと同じように、変わるためにまず、ひとつの勇気、ひとつの覚悟、ひとつの行動が必要なのです。
成果がでなくても、代わり続ける覚悟を持たないと、自己憐憫したり、人を蔑んだりしながら他人に依存するのです。
1度落ちたら這い上がるのは大変です。しかし、そういう経験をした人たちが這い上がり、自分自身の壁を越えたとき、あれだけ憧れ、なりたかった人になれるのです。
どんな人間も生きていることに意味があります。今いる場所がどん底でも、自分が代わり続ける勇気と覚悟と行動で、絶望的に見えた景色が希望の色に変わるのです。
そうして自分が苦しんで乗り越えたときに、人は悟りを覚えます。
悟りは瞑想だけではなく、自分自身の経験の積み重ねと、苦しみの対処の仕方でどんな人より立派な悟りを得るのです。
その実体験から得た悟りは瞑想で得た悟りの何十倍も価値があります。
その価値は、やるべきことをやるという覚悟に付随する苦しみが大きければ大きいほど、価値が高まります。